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ISBN 978-4-89801--
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老年科医のひとりごと 第85回

幸福の映像
─未来を孕まない記憶─

井口 昭久
愛知淑徳大学健康医療科学部教授

 国立大学にいた頃,同僚が私を誘って2人で昼飯を食べるのを日課にしていた.冬が近づくと彼が誘いに来なくなった.食道がんに襲われて嚥下困難の症状が出るようになったからであった.私が退官した数カ月後に彼は亡くなった.
 それから4年経った頃から私に彼と同じ症状が出現した.私は死期が迫ってきていることを自覚しながら生きていた.5月,新緑の中,ゼミの学生たちと近くの食堂へ昼飯を食べに行った.蕎麦を飲み込むと,小刻みになった蕎麦の断端が口の中に戻ってきて吐き出した.そして水も喉を通過しなくなった.私の体内に水分を取り込めなくなった.
 緊急で入院して大学病院の病室で1人になると命の果てに辿り着いたことを実感した.私の運命が外界に対して閉じられ永遠の闇が襲ってくるように感じた.
 しかしその瞬間,私は不思議な体験をした.
 臨死体験者は「明るい光が突然心の中身を照らし出す」と語るそうだが,後になって思えば臨死体験であったようだ.
 今までの出来事を思い出そうと思った瞬間,過去の映像がさっと通り抜けていった.記憶装置に保管されているすべてを一目で見ることができたかのような錯覚が襲ってきたのであった.
 幼い頃から現在までの思い出の映像がスクリーンを流れるように浮かんできた.どの思いトリミング済(W300)出も強調されることなく天竜川の水のように私の思い出の映像が流れていった.それは少し離れた所から見ている舞台のようでもあり,客観的な映像の記録でもあった.
 記憶は過去の出来事に未来を反映した産物であるのだが,そのときの私に未来を思い描くことはなかった.未来のない私にとっての記憶には不思議な幸福感だけがあった.
 しかしその後,胃カメラによって水分の通過が可能になり,微かに生きる可能性が生まれてくると,私の幸福の映像は消えてしまった.

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