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老年科医のひとりごと 第81回

シャボン玉の歌
─人の名前は泡のごとく─

井口 昭久
愛知淑徳大学健康医療科学部教授

 最近昔の嫌な記憶を思い出すことが多くなった.
 気分が優れないときは思い出したくないことばかり頭に浮かんでくる.それなのに,この頃は人の名前が思い出せないことが増えてきた.
 若い頃から固有名詞を覚えるのが苦手ではあったが,気に留めることはなかった.しかし最近気に掛かるようになった.何気なく思い出そうとした人の名前がすぐに出てこない.緊急の用事がある訳ではないので,思い出せなくても問題はないのだが,心配になる.携帯電話の名簿を眺めて確かめることもある.
 昨日思い出したときは二度と忘れることはないだろうと思ったのに,今日になったらまた忘れている.何かにメモしておけばよかったが,そんな必要もないほどに日常生活に溶け込んでいる名前だと,そのときは思った.
 えーっと,なんだったっけ??
 名簿を確認すれば簡単にわかるが「そこまでしなければ思い出せなくなってしまったのか?」と,私は認知症が心配になった.
 「あの受付の,やさしい,美人の───」と,関連事象を並べてみたが,固有名詞にはたどり着かない.
 人の名前をあいうえお順に思い出してみよう.そうすればそのうちに出てくるだろう.ア,イ,ウ,エ,オ,と名前の頭文字から思い出す努力をしてみた.えーっと,ア行から順にヤ,ユ,ヨ,の「ヨ」までいって思い出した.
 そうだ「ヨシムラ」さんだった.
シャボン玉の図(W290) この前もそうやってア行から始まってヤ行にたどり着くまでが長かったことを思い出した.「今度こそは忘れることはないだろう」とこの前もそう思ったことを覚えている.
 人の名前はシャボン玉のように消える.つやつやと光を浴びて浮かんでいたのにいつの間にか消えてしまう.消えてしまうと戻ってこない.子供がシャボン玉を追いかけているようなものだ.
 私は「シャボン玉」の歌を思い出した.
シャボン玉 消えた  飛ばずに 消えた
産まれて すぐに  こわれて 消えた
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