株式会社 ライフ・サイエンス

ライフ・サイエンスは医学・薬学専門出版社として医学・医療の発展に貢献します。

書籍検索(単行本)

キーワード検索

著者名や書籍タイトルを入力してください。
複数キーワードの場合は、スペースを入れてください。

発行年 年 ~ 
ISBN 978-4-89801--
分類

検索したい項目をチェックしてください。チェックがない場合は全てを検索します。

定期刊行物検索(新聞・雑誌)

キーワード検索

執筆者や特集タイトルを入力してください。
複数キーワードの場合は、スペースを入れてください。


新聞・雑誌別検索

検索したい項目をチェックしてください。チェックがない場合は全てを検索します。

発行年月

2010年以降のデータを検索できます。

月 ~

老年科医のひとりごと 第51回

私の未来

井口 昭久
愛知淑徳大学健康医療科学部教授

 現在勤めている大学のクリニックで外来診療を始めて13年になる.最初の頃は学内の人が風邪で来院するのみで,学外からの患者はほとんどなかった.あまりの患者の少なさに私は大学に申し訳ないと思っていた.
 半年ほど経つと紹介患者が来るようになった.近くで開業していたS先生が廃院することになって,そこの患者が紹介状を持って外来に来るようになったのだった.
 ある日,看護師が私の外来に来て言った.「大変,大変!S先生が来た!!」
 S先生本人が患者として私の外来を受診したのだ.その後,先生は糖尿病患者として私の外来に通院するようになった.先生は84歳になったのを機に開業をやめたのであった.私の卒業した大学の先輩でもあった.
 先生はやめた後も毎日医学の勉強は続けていた.ゴルフが趣味でハンデキャップは14であった.先生の姿は私の未来を投影しているように思えた.
 それから5年が経った.
 ゴルフは毎週続けていたが,アプローチでボールが見えにくくなってきた.視力の衰えは抗いようがなくなり,自動車免許証を返納した.医学部の同窓会は毎年開催しているが出席者が次第に減って100人のうち残っているのは13人だけであるといっていた.
 それからさらに5年が過ぎて先生とのお付き合いが10年を超えた.私の未来の図(W280)
 私の外来は相変わらず患者数は少ない.先生は94歳になった.最近難聴も出てきた.私の問いかけに反応しないこともあるようになった.軽度の認知障害はあるだろうとは思っていたが,わざわざ診断をして病名をつけることは避けていた.ある日,妻が付いて来て「最近もの忘れが多くなった」といった.
 傍らで聞いていた先生は不安げに妻の横顔を眺めた.そして怯えたように私を見た.

ひとりごと-バックナンバーバ