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老年科医のひとりごと 第26回

読めない葉書

井口 昭久
愛知淑徳大学健康医療科学部教授

 優秀な外科医である先輩が私の外来を受診した.問診表の文字が稚拙で読みにくかった.その稚拙さは何らかの病気が原因ではないかと思ったので,付き添いの娘さんに「お父さんはいつからこのような字を書くようになったの?」と聞くと,「昔からです」と答えた.
 医者の中には読みやすい文字を書こうという姿勢に欠けている者が多い.読みにくい文字を書くことが不名誉であるとは思わない人たちがいる.私もその1人である.
 私が大学を卒業したころのカルテへ書かれた先輩たちの文字には泣かされたものだ.見たこともない象形文字風の記号であった.
 わからないことは看護婦に聞くしかなかった.
 看護婦はあの患者を診ていたあの場面でこの先生はこのように書くはずだと推測して結論を出した.それは「ケツアツじゃない?!」,と教えてくれた.そのふにゃふにゃした文字は「血圧,140-70」と書いてあるのだった.
 大学に来た郵便物は事務職員が各教官のボックスに分配している.私が自分のボックスから葉書を取り出して眺めている横で,若い綺麗な事務員が振り分けをしていた.
 私は私よりもっと年寄りの名誉教授から届いた葉書を眺めて一読したが,あまりに達筆で判読できなかった.隣のおねーちゃんに助けを求めた.「これなんて書いてあるかわかる?」彼女は笑顔で答え読めない葉書(W270)た.「私も読もうとしたのですが,何が書いてあるかわからなかったんですよ」私だけではなく誰が読んでも判読不能のことがわかった.それに彼女が私への葉書を読もうとしたこともわかった.
 葉書を家に持って帰り妻と2人で暗号を解くように解読した.2人でタメツ・スガメツ眺めた.最近の私の著書の感想が書いてあるようだった.最初の一行は「お久しぶりです」であると推測した.
 文意がわかると,懐かしい名誉教授の顔があぶりだされる文字のように浮かびあがってきた.私は思わず「先生!お久しぶりです」と言った.
 そして妻と2人で難問を解いた達成感を味わった.

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