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ISBN 978-4-89801--
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Interview オピニオンを聞く 玄侑 宗久 氏

Geriatric Medicine Vol.55 No.9 2017-9
 
第15回 ターミナルケアを考える

宗教者の仕事は「死」を玄先生の図(W230)
受容するための必死の解釈
~地域のコミュニティ崩壊は日本の未来の危機~

 終末期における「死」に対する不安をどうすれば克服し,安らかな最期を迎えることができるのか.また残された家族や周囲の人たちはどのような過程を経て喪失感を癒していくのか.──今回は,臨済宗の僧侶として死にゆく多くの人々を見送り,また終末期を迎える人間の問題を作品の中で数多く取り上げてきた作家の玄侑宗久氏にお話をうかがった.終末期患者の心が揺れ動く状態,東日本大震災で明らかになったコミュニティの必要性など,地域包括ケアを担う人たちにとっても参考となる貴重な示唆をいただいた.

がん医療における告知の問題
~患者に大きな影響を及ぼす言葉の力~

──まず,医学・医療について日頃お考えのことを.

 西洋近代医学はフランス革命前夜の18世紀後半に「人ではなく病を診る」という方向に転換し,自然科学的な方法と結びつくことで大きな発展を遂げました.しかし21世紀の今,再び「人を診る」という方向へと見直す時期に来ているのではないかと感じています.

 最近気になるのは,がんという病気がこれほど増えてきた中で,どの患者さんにも一律に告知がなされていることです.檀家さんからは,「告知された後,いろいろ質問したいのに医師がつかまらない」「その後のフォローがほとんどない」という話をよく耳にします.

 中でも余命期間は,患者さんのほうから聞かれるのならともかく,そうでなければ伝える必要はまったくないと私は思っています.余命何カ月という数字は統計上の平均的な数値なのかもしれませんが,告知される側にとっては呪いの言葉になり得るからです.医師の言葉は患者さんにはとても大きな影響力をもっています.

 特に高齢者の場合,独特の人生観や死生観をもっている人が多い.そのような一人ひとりの気持ちを尊重した上で,そもそも告知するのかどうかも含め,丁寧な対応,説明を医師の皆さんにはお願いしたいと思います.

 もっとも,現在の医療は集約化されていて,がんであるとわかれば,それを専門とする大規模な病院に行くことになります.地域のかかりつけ医の先生にできることはここまでと線が引かれ,やむを得ない側面があるのかもしれません.しかし,やはりその人その人に即した治療があっていいのではないかと思ってしまいます.

医療の問題はコミュニティの問題につながる
~葬儀の在り方から見える地域力の衰退~

──患者さんのこれまでの生活や背景をよく理解した上での医療が必要だと?

 そうです.でもそれは医療だけの問題ではなくて,コミュニティ全体の問題だと思います.本来は地域が人を迎え入れ,送り出し,亡くなれば地域でお弔いをしていた.江戸時代には戸籍はお寺にありましたからね.旅行するにも旅行許可書(往来手形)をお寺が出していました.だから旅先で亡くなった場合には,お寺のネットワークでつながっていたのです.そのような地域の力が今,崩壊しつつあります.この地域力は都会よりも地方にまだ残っているのですが,そのせっかく残っている力を都会的な市場経済に則った考え方が壊そうとしています.

──具体的にはどういうことですか.

 地方の親が亡くなって,息子が東京にいるとしますね.すると葬儀社がご実家の近所には迷惑をかけないで,お金で済ませる方法を提案するわけです.「ご近所の手伝いは頼まなくていいですよ,それらは皆われわれがやりますから」と.そして葬儀の選択肢としていろんなオプションを用意して,その中から選ばせるのです.本来,葬儀はそんなに自由に選択できるものではなかったはずですが,市場経済原理主義の流れの中で,今や葬儀が商品化されてしまいました.名前が付くことは存在が認められる端緒です.「家族葬」,「直葬」,「火葬儀」などとネーミングされ,商品パッケージとして提示されます.「直葬」や「火葬儀」なんて,お通夜やお葬式をしないでまっすぐ火葬場に運んでしまうことに過ぎないのに,名前が付いて提示されれば,なんとなく選んでもいい気になってしまう.

 神奈川県のある葬儀社の「火葬式」のチラシを見ましたが,「菩提寺には連絡しないでください」と書いてありました.本当にちょっとひどい….

──そのやり方では,菩提寺のお墓に入れてもらえなくなるのでは?

 そういうことになりますが,今度は「墓じまい」という言葉まで作られました.これは先祖を祀ってあるお墓を処分して,住んでいる近くにお墓を移し管理するということです.都会にはタワーパーキングのようなビルの中にあるお墓も出てきました.あれは日本の法律では,遺骨は墓地に埋葬されなければならないことになっていて,果たしてそれが墓地なのかという議論も初めはあったのですが,保留になっている間にどんどん広がってしまいました.

 そもそもお墓という場所は「先祖代々守るべきもの」として受け継がれてきた,帰属意識の象徴です.例えばあなたのご両親の実家にはお墓もあって,菩提寺があるとします.あなたが自分のルーツを調べようと思えば,その菩提寺に行って過去帳を見せてもらえれば,ご先祖のこともわかります.そういう特別な場所であれば,遠くにお墓があっても守られていく可能性はあるでしょう.でも便利だから,安いからという理由で選ばれた場所は到底守られてはいかないと思います.おそらく次の世代の子どもがもう守ろうとはしないのではないでしょうか.

 このようにお葬式やお墓が消費の対象になってしまった現代の風潮が,地域やコミュニティの衰退につながっていくのです.

東日本大震災での教訓を活かせるか
~国の総力を考慮した政策を望む~

――コミュニティが崩壊しつつある流れは元に戻せるでしょうか.

 相当難しいと思います.ただし,私たちが生きていくということ自体がエントロピーを増大させることですので,これまでにも常に巻き戻そうとする対応はありました.その中で,本当に大きな巻き戻しが起こったのが今度の東日本大震災でした.あのとき,コミュニティの大切さを多くの人が感じたはずです.神社のお祭り,お盆やお彼岸に同じ地域の人たちが集うということが起こり,それは地域の復興にとって重要な役割を果たしました.

 しかし最終的には,住民が以前住んでいた土地に戻れるかというとそうでない地域も多く残りました.結局,国はどの行政区もなくしませんでした.もともと福島県双葉郡に住んでいた人たちの新たなコミュニティをつくるという発想はなかったのです.チェルノブイリ原発事故の場合,180km圏内の村はほとんど消滅し,新たにスラブティッチという町をつくっています.

 東日本大震災の場合,7年近く経った今でも,住民の1割弱しか戻ってこない町や村が多くある中で,そのような行政区を果たしていつまで継続していけるのか? これは本当に大きな問題だと思います.とにかく若者が戻ってこないので先細るしかない.これはどの行政区にとっても悩みの種です.

──地域包括ケアの考え方には「まちづくり」の発想がありますが,そもそも地域に人がいなければまちになりませんね.

 どうも国の総力というものを考慮していない気がします.東日本大震災の復興に全力を尽くしますといっている舌の根も乾かないうちに,東京オリンピックを開催するというわけです.除染作業や防潮堤づくりで作業する人はまだまだ必要です.現在,福島第一原発の作業員は約6,000人いますが,そんな状況の東北にスカウトが来て,「オリンピック工事のほうが報酬がいいよ」と勧誘するそうです.しかし,おそらくはそれもうまくいかず,結局外国人労働者を雇うことになるでしょう.このように労働力に限ってみても,総量・総力をみるという感覚がこの国には乏しいと思います.

 これに対し江戸時代は自治というものをとても重視し,三百諸侯と呼ばれた各藩が自分の領内の中だけでやりくりしていました.だから地方独自のコミュニティや文化が生まれたのです.人口についても,享保年間(18世紀初頭)の日本の総人口は推定3,000万人弱ですが,幕末(19世紀後半)になっても3,500万人弱とそれほど増えていません.これは島国という限られた面積の中で人口をこれ以上増やせないことがわかっていたからです.江戸時代は一人っ子が多く,養子縁組が多かったことも頷けます.

 とにかく外から入れればいいという発想は,コミュニティをどんどん崩していきます.京都は既に限界のようで,今年から桜のライトアップを取りやめた地域もあると聞きました.これ以上,観光客を増やしたくないというアピールですね.日本に来る外国人観光客は2016年で累計2,400万人と今でも限界に近いのに,政府は2020年には4,000万人に倍増しようという計画を立てています.日本に来る外国人観光客が真っ先に行くのは京都です.間もなく京都のホテルの値段は相当高くなると思いますよ.

 医療・介護人材の不足も深刻ですね.インドネシア,フィリピン,ベトナムからの介護実習生の受け入れがこれまで多かったようですが,最近は外国人介護士の就労を促す法律が施行され,外国人の介護福祉士国家試験の受験者が一番多い国は中国だと聞きました.私たちが終末期を迎える時代には,枕辺にいてくれるのは日本人ではないかもしれません.

 このように現代の日本では,限定した範囲で自足させていくという考え方がとても希薄です.安全保障問題についてもそうですが,もっと自治についての議論を行ない,現在の総力の中でできることを考えてもいいのではないかと思います.

死に近づく変性意識状態の体験も事実である
~終末期の体験をどのように受け止めるか~

──デビュー作の「水の舳先」では,終末期に関わる宗教者の姿が描写されています.終末期の患者さんに対するご関心が昔からあったのですか.

 それはありました.私が若かった頃は「死は虚無である」と考える人が大半を占めていて,例えば終末期の状態でいろんなものが見える状態になっても,意識の混濁やせん妄であると見做して誰も問題にしませんでした.しかし禅の修行などで得られる瞑想状態では,考えられないような現象がいくつも起こってきます.同じような現象が死の直前に起こってもまったく不思議ではないし,その人にとってはまさにリアリティをもった世界として実際に体験しているのだと思うようになったのです.

 科学的な視点が不自由なのは,すべての事象をそれが存在するか,しないかと分けてしまうところにあります.でも仏教に言わせれば,「すべては空」であり,それ自体が存在するわけではなく,いろんな縁の中でそのように現れてくるに過ぎません.すべての事象は縁起であると捉えます.

 例えば「幽霊はいますか?」と聞いてくる人がいますが,「いるか,いないか」ではなく,幽霊は「出る」のです.その人の体験として,「出た」ことは事実としかいいようがない.おそらくそのような体験の中でマジョリティとなったものが宗教的ビジョンとして形成されていったのだと思います.

 つまり,浄土にしても地獄にしても,それは体験するものなのです.終末期の「変性意識状態」の体験でも,体験するその人には間違いのない事実であって,それを無視するわけにはいかないでしょう.

看取りと葬儀は,死を受容し人生を解釈し直すこと
~死と生は表裏一体,同義である~

──周りにいる家族や医療・介護スタッフはその点をしっかり理解する必要がありますね.

 自分のビジョンを押しつけるのではない,いわゆる「傾聴」する姿勢は大切です.聴いてあげられる,頷いてあげられる,そういう人が傍にいてくれることは嬉しいことだと思います.

 「死」そのものは相互依存的な出来事です.細胞同士のコミュニケーションが途絶えるのも「死」でしょうし,周囲の人たちとのコミュニケーションが途絶えることも「死」である.

 そして「ある人の死」が,どのような出来事として周囲に認識されるかは,看取られ方にもよりますし,私たち僧侶のお見送りの仕方によっても大きく変わってきます.やはり僧侶には僧侶独特の観方があり,それを常に提供できればと思っていますが,それはその都度,その都度,個々の人たちで違ってきます.つまり「死」をなんとか受容するための必死な解釈を私たちは日々の仕事にしているわけです.

 終末期にある人の「きちんと見送ってもらいたい」という想いは,「しっかりと生きていきたい」という想いと同義です.この看取りや葬儀という大切な仕事や儀式をおざなりにしてはいけません.先述したような,死を皆に知らせることもなく埋葬するという経済優先主義の送り方では,「その人の人生って一体何だったのか?」「こんな社会で生きていく甲斐はない」と,見送る側も見送られる側も到底安心することはできないと思います.

記憶が変化することが供養になる
~年忌法要の大切な役割~

──逆にいい看取りや葬儀がなされれば,終末期の患者さんや家族の人生も豊かになるということですか.

 人は「事実は変えられない」と思っています.でも私たち禅僧は「事実も変えることができる」と思っている.「事実を変える」というより「記憶は変化する」といったほうが理解しやすいかもしれません.この記憶を変化させることが供養になります.

 例えば中学生の女の子がいて,両親を相次いで亡くしてしまった.彼女は高校進学を望んでいましたが,その希望は叶わず中卒で就職します.その悲しみは察するに余りありますが,勤め先の工場でとてもいい男性と出会うことになります.その彼と結婚して子どもが産まれ,両親の七回忌のときに元気いっぱいの子どもが一緒にいる.そうすると彼女は,「両親はあんなふうに亡くなってしまったけれど,そのおかげでこの人と出会えたのだ」と思えるようになる.死の意味合いが変わるわけです.過去の事実には感情が絡まっていて,その事実を思い起こす時点で見る人の景色が変わってくる.こうした記憶の変化を促すのが,年忌法要の役割です.

 初期仏典である「阿含経」によれば,過去の事実は貯木場に置いてある材木であり,思い出すという行為は,その材木を使ってそのときの気分で家を建てることだと説かれています.だから暗い気分で昔のことを思い出せば窓1つない家ができるし,同じ材料を使っても,燦々とした光が入るテラスのある気持ちのいい家を建てられるときもあるわけです.材料(事実)が同じでもまったく違った家(記憶)をつくってしまう.これと似たことを1972年にノーベル生理学・医学賞を受賞したジェラルド・エデルマンが,「記憶というものは思い出す瞬間に立ち上がるものだ」といっています(文献1).

時間という煩悩から解放されるのが終末期
~お迎えや臨死体験が起こることの意味~

──終末期にみられる変化について.

 終末期の人の意識や気持ちはとても揺れ動きます.最近がんで亡くなられた80歳近い女性のご遺族にうかがった話ですが,がんがリンパ節に転移して全身がむくんでしまい歩くこともできなくなりました.「こんな姿で死にたくない」としきりに嘆くのですが,10分もしないうちに「私の人生は幸せだった」ともいう.そうこうするうちにふいに「お父さん,お母さん,ありがとう」といったそうなのです.傍にいたご主人は一瞬,自分のことかなと考えたそうですが,でも「お父さん,お母さん」とつなげていったことを考えれば,やはり彼女のご両親だったのですね.つまり「お迎え」が来てくれた.お父さん,お母さんが来てくれたおかげで,その女性は感謝の言葉を残して亡くなっていけました.終末期に起こる気持ちの揺れは,「お迎え」のような次元の異なることでも起こらなければ終息しないのかもしれません.

 死後のビジョンというものをキリスト教や浄土教は提供しました.でも先ほどもお話ししたように,それらはそうであるという思い込みに過ぎない.実はそれらのビジョンは「死んだら何もない」という考え方とベクトルが違うだけで,思い込みという在り方としては同じなのです.一方,私たち禅宗では極楽浄土はあるに違いないとは思っていません.つまり「死んだらどうなるのか?」という問いに関しては,基本は「わかりません」という立場をとる.わからないままに進んでいくしかないのですね.

 わからないままに,死がいよいよ迫ってきたときの不安,寂しさ,心細さを考えてみれば,既に「あちら側」に逝っている人が迎えに来てくれたということは何より心強いものになるはずです.とにかくわからなくて不安だけれど,よく知っている人が連れてってくれるのなら,これはもう安心して逝くことができる.それだけで十分ではないかと思うのです.『死ぬ瞬間』で知られるキューブラー・ロスは,「お迎え」には亡くなった人しかやってこないと書いていますが(文献2),あれは確かに不思議な現象だと思います.

──先生の小説『アミターバ―無量光明』では,主人公の死の前後の意識が,過去・現在・未来,そして空間的にも自由自在に動き回る描写があり,リアリティを感じました.確かに亡くなる人が遠方の知人の枕元に立つという話はよく聞きます.

 死後の世界を描くには,禅宗は先ほど述べたように「わからない」のが建前なので,『アミターバ』では,浄土教が伝える阿弥陀如来(アミターバ)とチベット仏教の「死後は純粋な光の中に入っていく」というイメージを借りました.小説では,最後に主人公の意識は天女の姿になって光の中へ入っていきます.時間・空間に関係なく自由自在に動き回るという描写は,「時間という煩悩」からの解放を表現したものですが,あのような体験は無数に報告されています.

 禅宗では,時間は過去から未来へ直線的に流れているものではなく,常に現在であり,瞬間瞬間を生きていると考えます.その無数の瞬間同士には本来一貫性がなく,人間の脳がその時々に瞬間と瞬間をつなぎ合わせることで時間を作っているのだと解釈します.

 例えば夜12時半に寝て,翌朝の6時に起きたとします.体験としては「おやすみなさい」といって寝た瞬間の直後には目覚めている.それを無意識のうちに「12時半に寝て,6時に起きた.これくらい寝たら十分だな」と感じて初めて,その人の頭の中で昨晩から今朝にかけての時間が流れるのです.

 この時間こそがおそらく人間最大の煩悩です.この煩悩が終末期には吹き飛んでしまう.頭の中で作り上げた時間の序列がなくなり,自由自在に動き回れるようになるのです.

 もう1つ興味深いのは,記憶の保存のされ方です.私は若い頃,木から落ちた経験があります.7mくらいの高さから落ちるまでのわずかの時間に,それまでの自分の人生がフィルム状の形になってコマ送りで映し出され,落ちるまでの時間がとても長く感じられました.あれだけたくさんの映像が頭の中に入っているのかと本当に驚きました.つまり人間の記憶はフィルムのように脳のある部分に格納されていて,死に近づくような大きな体験をすると,一斉に解放され記憶が甦ることがあるようです.

 立花隆さんの『臨死体験』では,世界各国の臨死体験の報告が紹介されています(文献3).「初めは闇の中にいて,それが筒状になっている.その先には光が溢れていた」という光景は,どの人の話でも共通しているそうです.その後は,お花畑であったり,白い象がいたりと各国様々に変わるものの,光が見えてくるところまでは同じです.このことを「もしかすると産道を出てきたときの記憶ではないか」と説明する人もいます.

 つまり,終末期に「時間という煩悩」から解放されると,これまで思い出すこともできず封じ込められていた胎児の頃の記憶が甦り,産道を出てきたときの体験を繰り返すのが臨死体験ではないかというのです.面白い仮説だと思いませんか.

死者と共に生きてきた日本人
~現代人にとってのご先祖は祖父母まで~

──日本人特有の死生観についてはいかがでしょうか.「あの世のご先祖さまに申し訳が立たない」などと考える人もいますが….

 日本人には「死者と共に生きている」という部分が確かにあります.「(亡くなった)あの人だったらどう考えるだろう」という考え方は,日本人なら無意識のうちにしていると思います.科学的な見方をすれば,それはDNAに記憶されているといわれるかもしれませんが,DNAに入っているのは無数の人々です.10代遡れば,1,024人のご先祖様がいるわけで,両親から10代前までのご先祖をすべて足せば2,046人になる.その中には大泥棒もいれば学者もいたかもしれない.その中の誰が自分に関係してくるのかと考えてみても,まったく当てにならない話です.

 そんな非現実的な話ではなく,私たちにとってのご先祖は,たいていは祖父や祖母までだと思います.曾祖父4人と曾祖母4人のすべて知っているという人はまずいません.祖父母ならば,私たちの記憶の中でもいつまでも生き続けます.祖父母と孫との関係は,お互いの価値観が圧倒的に屹立しているところがいいのです.祖父母の既に確固として出来上がっている価値観は,孫にとっては変えようのないイメージとして大きく記憶の中に残ります.それが人生の様々な局面で,無意識にではあってもいろいろと助言してくれるのではないでしょうか.

 また生きている間,成長していく過程でも,祖父母との関係は大切にすべきです.父親と母親は子どもの前では口裏を合わせることが多いので,1つの価値観しか示すことができません.両親が結託して子どもに向かうと,子どもの逃げ道がなくなってしまう場合もあるでしょう.そんなときに祖父母のような別の価値観を示してくれる存在があることで豊かな人間形成が成り立ちます.昔なら,祖父母のほかにも近所のおじさん,おばさんたちがいました.それが日本社会のいいところだったのですが….

 人と人とのつながりを最優先するのが本来の日本社会でした.中国では“世間”という意味で使う「人間(ジンカン)」という漢字を,日本ではニンゲンと読み,ヒューマンビーイングの意味で使っています.実はこれは非常に稀有なことなのです.「色即是空」ではありませんが,日本人は,人の自性は周りとの縁によって形づくられるものだと認識し,人と社会とは密接につながっていると解釈してきたわけです.

 外国のように「お茶ですか?コーヒーですか?」とか「チキンですか?ポークですか?」とは聞かず,日本ではいきなり出てきて,出されたほうも「ありがとうございます」と感謝していただきます.「私はポークではなければ嫌です」という人はいません.このように人を「人間(ニンゲン)」と表現する民族にとっては,西洋諸国と比べて最初から人間の在り方が違います.

終末期を支える力となるも
~余裕のある環境づくりも大切~

──終末期患者さんに関わる医療者や介護スタッフの関わり方については? 終末期の人の心理的ケアを担当する「臨床宗教師」を養成しようという講座が,東北大学を始めいくつかの大学で開設されているようです.

 檀家さんと普段から長いお付き合いがあるお寺の僧侶なら,終末期に「和尚さんちょっと来てもらえませんかね」と呼ばれることは十分にあるでしょうし,とても自然なことだと思います.そういうお家なら近所の人たちがお見舞いやお別れに訪れることもごく普通に行なわれることでしょう.一方,終末期になったからといって,そういう場所にいきなり「臨床宗教師」という専門家が入っていけるのかという問題はあると思います.

 ですから例えば,お寺と病院とが連携して,まだその患者さんが終末期になる前から会っておけるような関係を作ることができればいいと思います.難しいのは今の日本の社会で,お布施の感覚が守られにくくなっていることです.私たち僧侶の仕事は交際業ではあるけれど,サービス業ではありません.患者さんにお会いしたからといって,決められた金銭のやり取りは基本的に行なわれないからです.

 実はお布施の伝統がまだ生きているのはイスラム社会です.つまり価格表がない.同じことをされても1,000円支払う人もいれば,3,000円支払う人もいます.3,000円は少し多いかなと思っても,多い分は福祉に用いられることが信じられているのが政教一致のイスラム社会なのです.政教分離を何か進んだ社会のように考えるのはどうかと思います.政教分離し,3,000円支払うような人がバカにされ,どれだけ値切ったかを自慢するような社会で,果たして福祉をどれだけ支えていくことができるでしょう?

 一方,現在の日本の介護・福祉はあくまでサービス業です.食事のお世話をする,入浴の介助をする,掃除をする,1つ1つのサービスが細かく決められていて,しかも時間がほとんどない.在宅療養のご家族は介護に来てくれる人に「お茶でもどうぞ」といっても,のんびりお茶など飲んでいる暇はないようで,その余裕のなさは本当に深刻です.その理由は最初に介護報酬の点数を決めたときに施設における介護サービスを参考にし,出張して介護するケースを想定しなかったことによります.その介護保険が在宅介護にも適用されてしまったから,事務所と利用者の家を往復する時間が含まれていないのです.これはまったく無茶な話だと思います.

 このような状況下では,介護サービスをある意味,仕事と割り切ることも仕方がないのかもしれませんが,それで終末期を支えられる力になれるのかと心配になります.

 今後の医療・介護・福祉の政策を考える上で,スタッフの皆さんが余裕をもって仕事をしてもらえるような視点はやはり必要になるのではないでしょうか.

瞑想は自愛の作法
~言葉で考えない時間を意図的に作ること~

──最後に医療者に向けたメッセージをお願いします.

 最近,健康志向がすごく強くなっていて,一種の欲望としての「健康長寿」が取り沙汰されているような気がします.日本人は昔から「寿命」や「天寿」という考え方はもっていました.これは,もともと生きられる寿命が決まっているという意味ではなく,人が亡くなったときに死を受け入れ,納得するための言葉として使われていたものです.

 もちろん健康長寿で,末永く元気に過ごせるに越したことはありません.しかし,最近よく広告しているような健康食品の宣伝文句などをみると,「健康を商売にする」という傾向が強まってきているのではないかと危惧しています.体にいいことだけを選んで健康になろうとするやり方が,ものすごく浅はかに感じられるのです.そんな思惑を超えた力を人間はもっていると思うのですが….

 よく挨拶や手紙で「ご自愛ください」という言い方をすることがありますね.でも,具体的にどうやって「自愛」するかを知っている人はあまりいません.過酷な仕事をしないで休んでばかりいればいいかというとそうでもない.私は自愛とは,意識を全身に隈なく巡らせることだと考えています.漢方の考え方によれば,意識を巡らせることで血液と気が集まり,体の中の細胞が喜ぶことになる.これが一番の自愛だと思っています.

 意識を巡らすために何をすればいいかというと,それは瞑想的な時間をもつことです.そして,脳の使い方に気を配ることが重要です.「ああでもない,こうでもない」と言葉で考えている状態と,例えば腕を伸ばしたときの筋肉内部の動きに意識をもっていくときの脳の働きは全然違います.譬えていえば,言葉でものを考えているときが電気を無駄使いしている状態,動きつつあるものに意識を向けていくのは低電力で省エネの状態になります.

 つまり,言葉で考えない時間を意図的に作ることで脳を覚醒させる.その一番簡単な方法は暗記をして唱えることです.脳の状態は覚醒しているのに,ものを考えていないという一種の瞑想状態が作り出せます.暗記して覚えることをあまりにもバカにする戦後の風潮が長く続きました.しかし,暗記して再生する(唱える)ことは脳と体の健康につながります.医療者の皆さんには,時にはこのような側面にも気を配っていただけるとありがたいと思っています.
                              (2017年8月21日,福聚寺本堂にて収録)

文   献
1) ジェラルド・M・エーデルマン著,冬樹純子訳,豊嶋良一監修:脳は空より広いか─「私」という現象を考える,草思社,東京,2006.
2) E・キューブラー・ロス著,秋山剛/早川東作訳:新・死ぬ瞬間,読売新聞社,東京,1985.
3) 立花隆:臨死体験(上・下),文藝春秋,東京,1994.

玄先生プロフィールの図(W450)

 

 

 

 

 

 

 取材後記の図(W450)